TMシステム Practically Profound & Profoundly Practical.
英語習得を実現するプロ英語教育

英語習得は必然的に達成されるものであり、必然的に達成されないものである。英語習得を必然的に達成するのがプロの英語教育であり、TMシステムである。

The stage is set for the most effective English education ever to take the lead and to lead you to the goal of mastering English.

プロは「習得」と言いきる。
アマは「上達」と口ごもる。

アマでいくなら、選択肢はあり余るほどある。
プロでいくなら、ここに、TMシステムがある。

TMシステム(The Thorough Mastering System:完全習得システム)
英語の文法と技法の全容を実際的に深く、
深く実際的に教えきる初の英語習熟教育。

プロ英語学習、プロ英語教育

1つの問、1つの引用文から始める。

[問1]
授業や講義やレッスンで英語をマスターした人がいるか?

つまり、英語教育で英語をマスターした人がいるのか?例えば、大学の英語科、英文科の4年間で英語をマスターできた人が1人でもいるのか?マスターの目安はそれ相当のライティング力(ネイティブが読んでネイティブが書いたとしか思えないレベルのライティング)。

つまり、今日これまでの英語教育は「上達」の一助となっても、「習得」の決め手となるのかという問である。

government of the people, by the people, for the people ほど有名ではないが、相当に有名なリンカンの次の言がある。

It is true that you may fool all the people some of the time; you can even fool some of the people all the time; but you can't fool all of the people all the time. (確かに、すべての国民をある期間だませるだろうし、一部の国民をずっとだまし続けることをもできるが、すべての国民をずっとだましおおせるものではない。)

最後の節の否定語 can't は all の前に位置しているが、ここでは部分否定ではなく、a. は b. の意味である。

  1. , but you can't fool all of the people all the time.(原文)
  2. , but it's impossible to fool all of the people all the time.

まず、限りある学習時間で着実確実に英語をマスターできる英語学習を「プロ英語学習」と定義し、プロ英語学習を提供する教育を「プロ英語教育」と定義する。

次に、英語教育の第一義を、つまり英語教育はなんのためにあるのか、英語教育の原点を確認する。

英語教育の第一義:
英語教育は、教えなければ学べないことを教えるためにある。

もちろん「教えなければ学べないこと」の中身は学習者の習得レベルで変わるが、今日これまでのアマ英語教育にあっては「教えなかったから、学ばなかった」「教えることができなかったから、学ぶことができなかった」ことがうんと沢山ある。

だから、プロ英語教育が教えねばならないことは山積している。例えば、大学には英語の句読法を教える講座がないから、句読法はそっくりプロ英語教育が引き受けることになる。ある程度の独習は可能であるが、そうせざるを得ない現状であるが、英語の句読法をマスターするためには、もっとも重要な4つの句読、コンマ(,)、セミコロン(;)、コロン(:)、ピリオド(.)の相対原理(TMシステムでは「句読の第1原理」)から学び始める必要があり、そのためにはプロの教えが必要である。

例えば、

[問2]
以下の否定文を強調の助動詞 do を用いて強調しなさい。
  1. I did not think that I would be doing what I am doing.
    (こんなことをしているとは思わなかった。)

文法関係の参考書として1953年出版以来ロングセラーを続ける江川泰一郎著『英文法解説』の「はしがき」に以下の記載がある。

「この間高校生はもちろん,短大・大学の学生諸君,高校・大学の英語の先生方,それに一般社会人など,実に様々な人々に読まれてきた。」

つまり、『英文法解説』は「高校生」「学生諸君」「先生方」「一般社会人」の英文法の知識源として久しく権威の座に君臨してきたということである。

この権威の書によると強調の助動詞 do の用法は以下の3つである。(pp.488–489)。

(1)の do は d.文の do believe の do、(2)の do は d.文の do think の do。

  1. Most teachers of English do think it's near impossible to master English thoroughly, but I do believe it's anything but.
    (たいていの英語教師は英語を完全にマスターするのはほとんど不可能だと思い込んでいるが、私は全く可能だと確信している。)

(3)の「命令文 + do」の用例としては、歴史を刻んだ、歴史に残ること間違いなしの、英語、ことわざ10選-3.  Hear no evil, see no evil, speak no evil.」で引用したウクライナ大統領 Volodymyr Zelensky の名言がある。

Do prove that you are with us. Do prove that you will not let us go. Do prove that you indeed are Europeans, and then life will win over death, and light will win over darkness. (あなたたちが、わたしたちの味方である証を立てたまえ。あなたたちは、わたしたちが滅びゆくままにしておかない証を立てたまえ。あなたたちは、誠にヨーロッパ人である証を立てたまえ。さらば、命は死に打ち勝ち、光は闇に打ち勝たん。)

「(2)単に肯定の意味を強調する場合」によると問2は問い間違いになる。ノンネイティブの英文法学者は文法書しか読まないから、本に書いていないことは知らない。しかし、英語の自然界では、強調の助動詞 do は否定の意味を強調する場合にも使い、その変形技法は確立している。だから、『英文法解説』の解説が間違っていることになる。

権威の書『英文法解説』に誤りが見つかるのだろうか?とあなたは思うだろうが、実に多くの誤りが見つかる。

「高校生」はもちろん「学生諸君」も「先生方」も「不定詞 = to不定詞」と思いこんでいるのは、同書の著者が「to不定詞」と記載すべきところを統一的に「不定詞」と記載したことに原因している。あなたは信じられないだろうが You can't believe it. の believe も Believe it or not, this is the case.(信じようと信じまいと、これは事実である。)の Believe も不定詞なのである。

文法学者が不定詞と to不定詞を混同する、こんな初歩的誤りを犯すとはおよそ信じがたいことである。 This, however, is the case with A NEW GUIDE TO ENGLISH GRAMMAR clad in the mantle of authority.

助動詞 shall の用例として以下の英文(p.219)が載っている。

Thou shall love thy neighbors as thyself.(おのれを愛するごとく隣人を愛せ)

この有名な、聖書を読んだことのない人でも知っているキリストの教えは欽定訳聖書(1611年)からの引用ということになるのだろうが、2箇所間違っている。

1つは複数 neighbors でなく単数 neighbor、もう1つは shall ではなくshalt。

主語 thou を受ける動詞、助動詞は固有の語形を有し、*Thou shall ではなく Thou shalt になり、正しい引用文は以下となる。

Thou shalt love thy neighbor as thyself.(Mark 12:31)

ちなみに、今日の主格 you は単(あなた)複(あなたがた)同形であるが、古くは単数主格は thou、複数主格は ye。

問題は、著者はなぜ短いたった1センテンスの引用を間違い非文法を犯し得たのか?ということより、なぜこの文法書の非文法が1991年の改訂(1953年初版)の際に訂正されなかったのか?なぜロングセラー『英文法解説』にあるまじき非文法 shall を著者や出版社に知らせた「先生方」が一人もいなかったのか?という日本の英語教育界の「質」「体質」にある。

なるほど、今日これまでの英語教育が今日これまでアマ英語教育であり続けてきたわけである。

アマ英語教育の定義:
英語の文法と技法を全的に教えることができないため、英語習得のプロセスをシステム化できず、そのため英語習得を実現可能な現実の目標とすることができない英語教育。

2作のロングセラーでアマ英語教育を検証できる。「高レベル英語学習」の以下の2ページがアマ英語教育を実証する。

あなたは d.文の near impossible は nearly impossible の誤り、文尾 anything but は anything but impossible の impossible が脱落したケアレスミスと思うかも。

この near(ほとんど)は副詞で、文法では near impossible は nearly impossible と同じだが、おしゃれな表現――文法プラス技法の英語は almost/nearly impossible プラス near impossible、all but impossible、next to impossible の三つ揃えの装いとなっている。

文尾 anything but はTMシステムで「反復省略強調」と呼ぶ技法――ただし、この反復省略強調の anything but は必ず文の最後に位置づけるという条件つき。

しかし、その前にあなたは省略される前の anything but impossible、つまり「anything but + 形容詞」の形態を疑問に思うだろう。

なぜ前置詞 but の後に形容詞がくるのか? anything but と同義 far from の場合は、動名詞 being 省略で「far from + 形容詞」が生成する。

  1. far from being impossible (不可能どころではない)
  2. far from impossible

しかし、本には書いてないが、前置詞 but は動名詞を目的語にとらないから、g. は非文法になり、e. → f. 同様 g. → h. と単純に解説するわけにはいかない。

  1. *anything but being impossible
  2. anything but impossible

また、そもそも前置詞 from の目的語として機能する動名詞句(名詞句)を形成する動名詞 being をなぜ省略できるのか?どう文法論理が通るのか?

ということになり、「英語教育は、教えなければ学べないことを教えるためにある。」(英語教育の第一義)ということになる。

[問3]
強調構文(emphatic construction)を使って i.文の現在分詞句(trying to revolutionize our English education)を強調しなさい。
  1. I have been trying to revolutionize our English education.
    (私は英語教育に革命的進歩をもたらそうとしてきた。)

あなたはこの問に面食らうだろう。現在分詞句を強調できるなど夢想だに思わなかっただろう。現在分詞句を強調するという発想が頭に浮かんだことは1度もないだろう。

しかし英語には、現在分詞句を強調する技法が2つある。

「強調構文」と言われて唯一思い当たるのは、以下のような、TMシステムで「it型強調構文」と呼ぶタイプ。

  1. It is will power that makes the impossible possible.
    (不可能を可能にするのは意志力である。)

アマ英語教育では「強調構文 = it型強調構文」なんて単純な等式になっているが、英語には40以上の強調構文があり、現在分詞句を強調する場合はTMシステムで「what型強調構文」と呼ぶタイプを使う。

[問4]
k.文の補語 a highly sophisticated language を強調しなさい。
  1. English is a highly sophisticated language.
    (英語は高度に洗練した言語である。)

名詞補語を強調する技法はいろいろあるが、it型強調構文を使うと l.文のように非文法になる可能性がある。

  1. *It is a highly sophisticated language that English is.

なぜ非文法なのか?その理由は全く意外なところにある。

名詞補語は「名詞単数形」「名詞複数形」「a/an + 名詞単数形」「the + 名詞単数形」「the + 名詞複数形」の5形態――この中には、純粋な文法論理では it型強調構文で強調できる形態もあるが、名詞補語は it型強調構文で強調しないのが無難。

ここまでヒントが出ているのにピンとこないのは、冠詞の用法に関してあることを学んでいないからであり、そのことを「先生方」が教えられなかったからであり、なぜ教えられなかったのかと言えば、その「先生方」が「高校生」や「学生諸君」であった時、教えてくれた「先生方」がいなかったからである。

だから、「英語教育は、教えなければ学べないことを教えるためにある。」のである。

ここで、「限りある学習時間で着実確実に英語をマスターできる」ようにするプロ英語学習をデモンストレーションしよう。

[問5]
m. と n. 2語句の意味を1語句で表現しなさい。
  1. this world(この世界)
  2. our world(私たちの世界)

m. n. の意味を1つにすると「この私たちの世界」「私たちのこの世界」で英語は二重所有格 (double possessive)の o.。

  1. this world of ours

二重所有格とは「名詞句 + of + 独立所有格」の形態のこと。

二重所有格で表現しないのなら、関係代名詞節が this world を修飾する p.。

  1. this world that is our world

p. は形容詞節を含む名詞句であるから p. も問5の答になる。

p. の our world を独立所有格(absolute possessive)に変形すると q. が生成する。

  1. this world that is ours

二重所有格の代表は a friend of mine(私の友人)――と言うのも、文法界で a friend of mine を例として数々の文法学者が二重所有格を論じてきた経緯があるからだ。

中でも華々しいのは伝統文法(traditional grammar)の大御所ヘンリー・スィート(Henry Sweet)とオットー・イェスペルセン(Otto Jespersen)のいわば「我が友 a friend of mine の戦い」。

スィートの論は a friend of mine は a friend of my friends で one of my friends(私の友人の1人)の意、つまり of の用法は「部分(out of)」。

イェスペルセンの論は of の用法は「同格」、その論拠は次の2つ。

論拠1:
スィートの論では that long nose of his(あの高い彼の鼻)は that long nose of his noses になり、彼には複数の鼻があることになる。
論拠2:
私に友人が1人しかいない場合でも a friend of mine と表現できる。

「同格」の of とは、「A=B」のイコール関係にある2つの名詞句A、Bから1つの名詞句 A of B を形成する of の用法である。

例えば、「the city = Kyoto」である the city of Kyoto(京都市)、「the year = 2024」である the year of 2024(2024年)。three of us(私たちの中の3人)の of は「部分」であるのに対し、「the three = us」である the three of us(私たち3人)の of は「同格」。

「同格」of の a friend of mine は「a friend = mine(my friend)」で a friend who is my friend(私の友である友)の意。

「我が友 a friend of mine の戦い」の勝者は、もちろんイェスペルセン。TMシステムでも a friend of mine の of の用法は、もちろん「同格」。

私は、論より証明、以下のごとく8段階で a friend of mine の of が「同格」であることを立証する。

a friend of mine の of が同格であることの立証:

第1段階:
2語句 this world、our world の意味を1語句で表現すると this world of ours(our world)になる。
第2段階:
this world of ours と a friend of mine は同じ表現形式(名詞句 + of + 独立所有格)である。
第3段階:
this world も our world もone world(1つの世界)で this world of ours の ours は our worlds でありえず、this world of ours は this world of our world から変形生成した形態であり、this world of our worlds から変形生成した形態でありえない。
第4段階:
したがって、独立所有格が「所有格 + 単数名詞」でも「名詞句 + of + 独立所有格」の表現形式を使うことができる。
第5段階:
しかも、this world of ours の独立所有格のように「所有格 + 複数名詞」が不合理になる場合もある。
第6段階:
this world of ours と a friend of mine はいずれも「単数の名詞句 + of + 独立所有格」であるから、「単数の名詞」に対応する独立所有格は「所有格 + 単数名詞」と理解するのが論理的である。
第7段階:
そうすると、「this world = ours(our world)」同様に「a friend = mine(my friend)」となる。
第8段階:
以上のことから、 a friend of mine の of の用法は「同格」と結論づけることになる。

a friend of mine の『英文法解説』の「解説」は以下の通り。

「(3) a friend of mine はいわゆる二重属格(Double Genitive)の代表で,その発生に関しては学者の間で異論があった語法である。常識的には ‘one of my friends’ と解すればよい。そうすると that long nose of his(あの彼の高い鼻)は ‘that long nose of his noses’ となって,人間の化け物ができるという議論もあるが,これは ‘that long nose that he has’ と考えよう(Close, Reference, p.125)。
 要するに,これらの語法は「冠詞・(代)名詞の所有格・指示代名詞・その他(any,some,no)は2つ並置できない」という英語の語順の原則の縛りがあるために生じたもので,a my friend と言わずに a friend of mine と言うのは,some these books が不可能で some of these books となるのと同じである。
 a friend of mine と my friend の間における「不定」と「特定」の相違は,大まかに言うと a book と the book の相違に相当すると考えてよい。」

 

属格(genitive)は古風な所有格で、二重属格(double genitive)は二重所有格のこと。

「解説」に係る6つの問題点:

問題点1:「常識的には ‘one of my friends’ と解すればよい。」
とあるが、私の常識では、恐らくあなたの常識でも、one of my friends が that long nose of his noses の矛盾を生じるのであれば、「人間の化け物」をつくらない a friend of mine、that long nose of his 共通の of の用法があるのではないかと考えることになる。
問題点2:「これは ‘that long nose that he has’ と考えよう(Close, Reference, p.125)。」
とあるが、これは争点のすり替え!「that long nose that he has(彼が持っているあの高い鼻/彼のものであるあの高い鼻)」に該当する英語表現は that long nose of his ではなく、that long nose of him、独立所有格 his ではなく目的格 him、つまり、of の用法は「所有・所属」――代名詞 him の that long nose of him は不自然で that long nose he has と表現すべきであるが、that long nose of the President(大統領のあの高い鼻)は自然。
問題点3:「これらの語法は「冠詞・(代)名詞の所有格・指示代名詞・その他(any,some,no)は2つ並置できない」という英語の語順の原則の縛りがあるために生じたもので,a my friend と言わずに a friend of mine と言う」
「冠詞は……2つ並置できない」は文法ルールで問題なし。ただし、「指示代名詞」は誤りで「指示形容詞(demonstrative adjective)」に訂正する必要がある。
 問題は、その例の「a my friend と言わずに a friend of mine と言う」。
 a friend of mine に複数形はあるのだろうか?普通名詞(common noun)には必ず複数形がある。そうすると、単数 a friend の複数が friends であるように a friend of mine の複数形は friends of mine なのか?
 つまり、文法論理では a friend of mine の複数形は friends of mine になるが、この複数形は実際に使えるのか?実際に使われているのか? s.文は自然な英語なのか?
  1. Tom is a friend of mine.
    (トムは私の友達です。)
  2. Not only Tom but also his brothers are friends of mine.
    (トムだけでなく彼の兄弟も私の友達です。)
 単数 a friend of mine なら複数は friends of mine――こんな単純な文法論理に思い当たったノンネイティブの英文法学者はいないようだが、誰もこの点を問題にしなかったが、friends of mine は倫理上の表現ではなく、実際上の表現である。
 冠詞と所有格は「2つ並置できない」文法ルールの「縛り」がないのに friends of mine という事実は、「a my friend と言わずに a friend of mine と言う」との「解説」が誤りであることを示唆している。
 また、friends of mine(my friends)の場合、my friends で済むのに、なぜ friends of mine とも言うのか?friends of mine とmy friends では表現効果に違いがあることを示唆している。
問題点4:「a my friend と言わずに a friend of mine と言う」
この部分の解説は「常識的には ‘one of my friends’ と解すればよい。」と矛盾する。
 「a my friend と言わずに a friend of mine と言う」のであれば、この a friend of mine の mine は、当然、my friend――*a my friend が非文法になるから a friend of my friends → a friend of mine と単数 my friend が複数 my friends に変わるなんて解説は非論理的であるだけでなく非常識!
 解説Aと解説Bは相容れない2つの説である。
  • 解説A:a friend of mine は a friend of my friends で one of my friends の意――つまり、of は「部分」。
  • 解説B:*a my friend と言えないから a friend of mine(my friend)――つまり、of は「同格」。
問題点5:「a my friend と言わずに a friend of mine と言うのは,some these books が不可能で some of these books となるのと同じである。」
 文法学者は、職業上、文法の目で英語を見、その目で見える英語を解説するが、私から言えば、文法学者は片目をつぶって英語を見ている方々である。
 はたして、*a my friend、*my a friend と言えないから、*some my friends、*my some friends と言えないから、それが理由で a friend of mine、some friends of mine と言うのであろうか?
 one of these books、some of these books と言うのは、*one these books、*some these books と言えないという理由のためなのか?
 確かに、代名詞の場合は most people のように *most we、*most us と言えないから、most of us になる場合もある。
 しかし、both my parents と言えるのに、both of my parents、both parents of mine と言う場合もある。
 日本語でも「1人の彼ら」(*one they、*one them)と言わずに「彼らの1人」(one of them)と言うが、私は、「1人の彼ら」と言えないから「彼らの1人」と言っている積りは毛頭ない。
 『英文法解説』の著者は混同しているが、「a my friend は非文法」という文法理解と「非文法になるから a friend of mine」との文法解釈は異なる2つのことである。
問題点6:「「a friend of mine と my friend の間における「不定」と「特定」の相違は,大まかに言うと a book と the book の相違に相当すると考えてよい。」
a friend of mine が「不定」になる理由は、of が「部分」で「a friend of mine = a friend of my friends」となり、「私の友人の中の不特定の1人の友人」と解釈するからである。
 しかし、イェスペルセンがスィートを論破したように、私が100%立証したように、of の用法は「同格」であるから「a friend of mine = a friend of my friend(mine)」となり、「a friend of mine = my friend」となり、a friend of mine は「不定」ではなく「特定」である。
 また、著者は friend を book に代え「a book と the book の相違に相当」とするが、the book(その本)、the friend(その友人)は特定の1冊の本、特定の1人の友人である一方、my friend は t.文の my friend のように「不定」で使うこともできる。
  1. Where is my friend?
    (私の友はどこにいる。)

結論として、a friend of mine に係る『英文法解説』の「解説」はその全部が誤り、ということになる。

英 語 で 開 眼 !

a friend of mine があなたの親友になる時

The moment you look at English with both eyes of yours is when a friend of mine becomes a dear friend of yours.

[問]
「私の一番の親友」を3通りに英訳しなさい。

「私の一番の親友」を英訳しなさい、という問だったら、あなたの答は a.。

  1. my best friend

「2通りに英訳しなさい」なら、最上級 best を very で強めた最々上級 very best の b. を加えて2つ。

  1. my very best friend

英語の強調法は次の3つに大別できる。

  • 語句レベルの強調。
  • 構造レベルの強調。
  • 語句・構造レベルの強調。

my best friend を構造レベルで強調すると c.、語句・構造レベルで強調すると d.―― a.、c.、d. で3通りになる。強調語 very で best を強めた b. は語句レベルの強調。

  1. the best of my friends(of は「部分」)
  2. the best friend of mine(of は「同格」)

『英文法解説』に則すると、「冠詞と所有格は2つ並置できないので *the my best friend と言わずに the best friend of mine と言う」となるが。この文法レベルの解説は正しいのか?そも、文法レベルで the best friend of mine を解説することは正しいのか?

私は技法レベルで my best friend を強調するために the best friend of mine と表現したのであり、文法レベルで the と my は並置できないから、仕方なく the best friend of mine と改めたのではない。

そもそも、文法レベル(意味を正しく伝達する言語レベル)では my best friend で用をなし、my と the の2つを使う必要は全くないわけである。

技法レベルで my と the の2つを使う理由は、my friend、the best friend と friend を繰り返すことで表現を強めるためである。

つまり、my friend(e.)と the best friend(f.)2語句を1つにした the best friend of mine(d.)は反復強調技法である。

  1. my friend
  2. the best friend
  3. the best friend of mine(my friend)

同様に、問5既出の this world of ours も技法レベルの反復強調表現。

  1. this world
  2. our world
  3. this world of ours(our world)

a friend of mine も同類同技法。

文法レベルで「冠詞と所有格は2つ並置できないので *a my friend、*my a friend と言わずに a friend of mine と言う」と言う前に、文法レベルで a と my の2つを使って「私の友人」と言う必要は全くない。文法レベルで j.、k.、l. は全く同義(ロンは私の友人です。)であり、 a friend(j.)で話者の友人(my friend)と理解できるし、普通に使う表現でもある。

  1. Ron is a friend.
  2. Ron is my friend.
  3. Ron is a friend of mine.

a friend of mine も、the best friend of mine、this world of ours 同様、技法レベルで「a friend + my friend = a friend of mine(my friend)」の反復強調表現である。

文法界の文法学者は片目で英語界を見る。英文法学者の英語界はいわば白黒の世界である。

私は文法の目と技法の目の両眼で多種多様な英語の自然界をじっくり観察し、熟考し、洞察することでTMシステムを創った。

TMシステム(The Thorough Mastering System:完全習得システム)
英語の文法と技法の全容を実際的に深く、
深く実際的に教えきる初の英語習熟教育。

「片目」だと、以下の結論で解説が終了する。

■ 間違った文法理解
a friend of mine は a friend of my friends(mine)であり、of の用法は「部分」である。
■ 正しい文法理解
a friend of mine は a friend who is my friend(mine)の意であり、of の用法は「同格」である。

「両眼」だと以下の結論で解説が完了する。

■ 間違った英語理解
冠詞と所有格を2つ並置して *a my friend と言えないから、a friend of mine と表現する。
■ 正しい英語理解
a friend of mine は 「同格」の of を活用した反復強調表現である。

今、あなたは文法界の定説(「間違った英語理解」)が崩れる瞬間を目撃した。

今の今まで、「我が友 a friend of mine」は正体不明、親しみを感じる「あなたの友」ではなかった。『英文法解説』の著者は「常識的には ‘one of my friends’ と解すればよい。」と言うが、そう解することが「常識的」であるからではなく、「簡単」であるからにほかならない。

「我が友 a friend of mine の戦い」の最終勝者である私は a friend of mine をプロ英語教育の親善大使(goodwill ambassador)に任命した。

この親善大使は「英語は文法プラス技法のことば」「文法プラス技法の英語は文法プラス技法の英語学習でマスターすべし!」と語るあなたの「英語の友」である。

あなたも誰も彼も、「学生諸君」も「先生方」も「一般社会人」も「両眼」で英語に開眼する時!

of の用法は「所有・所属」ではなく「同格」であるから、文法用語「二重所有格」は適正でない。

TMシステムは「同格の of + 独立所有格」を「独立所有格型強調構文」と呼ぶ。英語には独立所有格を活用する技法が3つあり、その2つは強調構文。

最後に英語の自然界ならではの a friend of mine のお仲間を紹介しよう。

2024年、アメリカ大統領選も大詰めの10月、車窓から手を握るハリスのモーターケード(motorcade)が通り過ぎると、記者の隣にいた女の子が泣き出した。以下は TIME 2024年10月28日号 p.30からの引用、この記事の最終パラグラフを締め括る4センテンス。

Her name was Noemi Barbagli, an 18-year-old with long curly hair. I asked Barbagli if there was a particular policy proposal of Harris' that excited her. “Honestly? Not that much,” she said. “She brings a lot of hope and optimism. I know what I don't like about Donald Trump.” (彼女の名前はノエミ・バーバグリ、長い巻き毛の18歳。私はバーバグリにわくわくするようなハリスの政策提案があったか聞いてみた。「正直に、なら、それほどのものはないわ。彼女はうんと希望と楽観を与えてくれる。ドナルド・トランプのいやなところが分かるの。」と彼女は語った。)

a particular policy proposal of Harris'(ハリスの特定の政策提案)こんな個性的な a friend of mine's friend に出会うのは英語の自然環境で、参考書の人口環境ではない。

Thorough mastering is the direct path to mastering English.
「完全習得」は英語習得の直行路。

たった今、私はTMシステムのTM(完全習得)をデモンストレーションし、結果的に文法用語「二重所有格」が技法用語「独立所有格型強調構文」に変わる大成果を達成した。

「大成果」とは、英語学習者が、ずっと正体不明であった a friend of mine に代表される表現形式を完全に理解し得ただけでなく、 a friend of mine の仲立ちで英語との親交がぐんと深くなった、つまり、英語の本質「文法プラス技法のことば」を実際に実感を持って実習し得たことである。

英語力が伸び悩む、頭打ちになる最大の原因は、英語を構築する文法と技法を構成する個々の仕組(例えば時制のシステム)と技法(例えば強調構文)を完全に習得できないために英語学習がきちんと積み上がっていかないことである。

文法と技法の知識不足と理解不足は、いわばバケツの穴、大不足は大穴――努力の水を注ぎ続けても、常に努力不足と時間不足。

TMシステムは、完全習得による英語学習の完璧な積み上げにより、英語習得を着実確実に達成するシステム。

TMシステムの英語教育理念:
学習レベルが高くとも、本当にわかっている人が必要な解説を尽くして教えるならば、本気でわかろうとする人はわかる。

「木を見て森を見ず。」と言う。アマ英語教育は英語を教えて「英語」を教えず――と私は言う。

英語は、一体全体、どんな言語なのか?

TMシステムの3大英語理解:
■ 英語は文法プラス技法のことば。
■ 英文法の中核は変形。
■ 英技法の中核は変形技法。

1957年、ロシア革命の40年後、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー著『Syntactic Structures』が世に出、文法界に革命が起こる。「革命文法」の異名を取った変形生成文法(transformational generative grammar:短く変形文法、生成文法)の誕生である。

変形の定義:
変形(transformation)とは意味が変わらず形態が変わることである。

変形の認識において、変形文法の「言語の根本原理は変形」とTMシステムの「英文法の中核は変形」は同じであるが、ネイティブの英文法学者の learning for learning's sake(学問のための学問)とTMシステムの transformational approach for the sake of mastering English(英語をマスターするための変形的アプローチ)とでは自ずと違いが、相当に大きな違いが生じる。英語の文法と技法をマスターするために個々の変形を完全習得することは絶対必要だが、そのために変形文法なる文法学者のための学問研究にアプローチする必要はない。

と言っても、空所化変形(gapping)、RNR(right-node-raising)、埋め込み(embedding)等のTMシステムも採用している変形文法由来の用語もある。

と言っても、TMシステムの it型強調構文は変形文法の分裂文(cleft sentence)に、what型強調構文は変形文法の擬似分裂文(pseudo-cleft-sentence)に該当するが、文法プラス技法(「強調」は技法、「構文」は文法)のTMシステムは分裂文も擬似分裂文も採用せず。と言っても、「分裂」は英語の5大移動(shift)の1つであり、十全に学習する。

TMシステムの変形学習を一言すれば、変形プラグマティズム(pragmatism)―― (1) 英語が有する全ての変形を学習する (2) 個々の変形の変形プロセスを完全に解明し、完璧に解説する (3) 各変形を応用活用できるレベルの習得が可能になるよう「実際的に深く、深く実際的」に学習する。

[問6]
u.文の tackle は自動詞か?それとも他動詞か?
  1. This issue is hard to tackle.
    (この問題は取り組むのが大変だ。)
  2. We are ready to tackle this issue.
    (私たちはこの問題に取り組もうとしている。)

動詞 tackle は他動詞である、辞書では。

「目的語のない他動詞もある」が不合理であるように、「u. の他動詞 tackle の目的語は省略されている」も不合理。

制限用法(限定用法)の関係代名詞節の場合、他動詞や前置詞の目的語である関係代名詞(目的格の関係代名詞)を省略することは可能であるが、これは例外で他動詞の目的語省略は不可。

そこで u.文に tackle の目的語 it(this issue)を付加すると、その it は蛇足で w.文は非文法。

  1. *This issue is hard to tackle it.

w. が非文法であるので、tackle を受動態に変えた x. も非文法。

  1. *This issue is hard to be tackled.

そうすると、辞書では tackle は他動詞だが、実際には自動詞としても使うことがある、なのか?

「常識的には」自動詞「と解すればよい」でよいのか?

tackle と同義の grapple(取り組む)は自動詞で grapple with で他動詞的に機能する、つまり、「grapple with = tackle」である。

u.文の tackle を自動詞 grapple に代えると非文法な y.文。

  1. *This issue is hard to grapple.

y.文の非文法な grapple を訂正すると、u.文の tackle を grapple with に代えた z.文。

  1. This issue is hard to grapple with.

また、前置詞 with の目的語 it を付加すると、この it も蛇足で aa.文は非文法。

  1. *This issue is hard to grapple with it.

このことは、u. は w. の it 省略により変形生成したのではないこと、同様に z. もaa. の it 省略により変形生成した形態ではないことを証している。

以上のことから、私は、ここで、以下2つのことを証明したことになる。

そこで問6は、u.文のような「主語 + be動詞 + 形容詞補語 + to + 不定詞の単独他動詞(後に目的語を伴わない他動詞)」の単独他動詞の目的語は、一体全体、どうなったのか?という大問題に発展する。

– 続く –

英語力:実力不足と言う前に実力発揮不足

あなたが母国語日本語で発揮している言語能力の3分の1しか英語では発揮できていないとすれば、1年でできることが3年かかることになり、5分の1なら5年かかることになり、10分の1以下なら10年以上かかるというより、何年英語をやっても英語習得の日は決してやってこない。

畢竟、英語をマスターできるか否かは、母国語日本語習得で鍛えたあなたの言語能力を、あなたが英語でも全的に働かせることができるかどうかにかかっている。

言語能力というあなたの「実力」が英語で全的に働き出すようになるためには、まず、なによりもあなたの言語能力が英語なる言語がいかなる言語であるのか、本質的に、根本的に理解する必要がある。

通常、努力不足が意味することは学習時間の不足である。

しかし、そも、外国語をモノにするということは、学習時間の大不足にもかかわらず、それでも外国語をマスターするということである。

英語学習が実力向上、実力増大に直結していくためには、英語学習がきちんと積み上がっていかねばならない。

英語学習がきちんと積み上がるためには、英語学習がシステム化していなければならない。

英語学習をシステム化できるためには、文法プラス技法のことばである英語の全体像を100%完璧に把握していなければならない。

「学習の積み上げによる実力の積み上げ」「英語学習のシステム化」「英語の全体像把握」——これが、英語を確実にマスターできる英語学習の3原理であり、ここに、プロとアマの英語教育の決定的違いがある。

プロ英語学習は、どこから始める必要もどこで終わる必然もない、どこまでも間延びする甘々英語学習とは違う。

システム化している英語学習には、入口がある。TMシステムという名のプロ英語学習&教育の入口は、「ここが英語入学の正門です」のTMシステム入門講座である。

英語革命 NOW!:第1、第2、第3、第4英語革命

The TM System is not just a step forward, not just even a giant step; it's a quantum leap toward the goal of English education: to enable every sincere and serious learner to master English.

熟成40年プロ英語:私とTMシステム

今は小説を読むことはなくなったが、10代から20代にかけてD.H.ロレンスの小説、短編、エッセイ、詩を読んでいた10年ほどの期間があり、「これが英語なんだ!」と英語に深く感動できたのがよかった。

今はTMシステムで、学習者の方々に「これが英語なんだ!」と英語に深く感動していただきたいと思っている。

英語習得を実現するプロ英語学習をシステム化したTMシステムを創った私、遠藤緯己(えんどう いき 大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)英語科卒)がTMシステム入門講座(TMシステム-レベル2講座)を世に出した2023年より遡ること40年、変形(transformation:意味が変わらず形態が変わること)を英語学習の中心に位置づけた全く新しい英語教育が誕生した。

表看板は「大学受験英語専門」の塾、テキストは100%完全オリジナル、1レッスンは180分(大学の90分授業の倍)、と言っても、5分の休憩が入るか入らないかの正味3時間、各レッスンごとに学習テーマがあり、そのテーマの根本、原理、文法ルールから授業を起こし、そのテーマに関連した高度な精読問題で授業を締め括る。

例えば、「等位接続詞」が学習テーマなら、まず等位接続詞の第1原理の解説から始める。第1原理とは等位接続詞(and、but、or、変形生成した nor、for、副詞派生の so、yet)が何と何を接続するのかに係る文法ルールである。

そんなことはわかりきったいる、解説の必要なし――と、あなたも英語教師も参考書や文法書の著者も考えているようだが、現実に、かなりの人がわかっていない、誤解している。

例えば、句読法(punctuation)が学習テーマなら、まず、コンマ(,)、セミコロン(;)、コロン(:)、ピリオド(.)の4つの句読の間にどんな相互関係があるのか、英語の句読法の第1原理から授業を起こし、第2、第3原理と進み、技法レベルの句読法まで解説し、高度な精読問題で授業を締め括る。

以下の推薦文の「どんな簡単な文章にでも出てくるような単語(例えば and)や、コンマといったごく基本的なことでさえも、きちんと理解していなかったのだと気づかされました。」に注目!

私が英精教室を知ったのは雑誌ダカーポの英語特集を通じてで今まで学んできたものとは違う何かがあると感じ、大学生であるにもかかわらずこの講座を受けることにしました。

実際に受講してみて、確かに今までとは違う深い内容の授業で驚きの連続でした。新しい知識に戸惑うところもありましたが英文が捉えやすくなるのです。語順が入れ替わっていたり、省略があったり、簡潔な名詞化表現を含むような高レベルの英文が非常に捉えやすくなりました。またどんな簡単な文章にでも出てくるような単語(例えば and)やコンマといったごく基本的なことでさえも、きちんと理解していなかったのだと気づかされました。今まで英語に対してあまりに無知だったということになるのでしょう。

この授業では文法に関しては文法を重視しているといわれる受験英語よりも、はるかに根本的で有益なことが習得できる。また修辞法や句読法のように、受験でも大いに役立つのだが、受験英語では教わらないことも学べる。読解はもちろんのこと、作文という観点からしてもこれらの知識から学ぶべきことは多いです。

現在、国際化はますます進んでいます。英語で論文を読み書きしたり、商談したり、国際会議に参加する等、英語で他人の考えを理解し自分の考えを発表する場は増えていくでしょう。そういう場で必要とされる高度な英語力を身につけるには、英精教室で学ぶのが最良の道であると思います。

K. Y. 京都大学4回生の時入塾、1年間、休暇期の特別授業も含め、無欠席で受講し通した熱心な学習者。

なぜ「きちんと理解していなかった」のか、その原因、理由は明々白々――誰もきちんと教えなかったから。

『英文法解説』の「第14章 接続詞」は「Ⅰ 等位接続詞」で始まり、and の用法、but の用法、or の用法、その他の用法を解説しているが、「用法」の解説だけで、肝心要の文法の解説が全く見当たらない。つまり、以下3つの等位接続詞の文法に係る解説が全くない。

等位接続詞の文法を完全に理解することなく、等位接続詞の完全習得(thorough mastering)はありえない。

プロ英語教育TMシステム(完全習得システム)は等位接続詞の第1原理、第2原理から始める、アマ英語教育は「原理」を教えずに「用法」で済ます。プロとアマの学習レベルの差が学習成果に雲泥の差を生じることをプロは知っている。

TMシステムの3大英語理解:

変形を中核とした「大学受験英語専門」の「英語」は実質として、つまり、英語力をつける英語学習効果として、大学よりぐんと高いものであった。故に、私はこの新しい英語学習の場を「頂点クラス」と命名した。

この頂点クラスという名の全く新しい英語教育が進歩進化を極め結実完熟したのがTMシステムである。

頂点クラスの授業レベルは非常に高いこと、新しい英語学習を試す必要を感じるのは古い英語学習を十分試してきた人、また、新しいことを試すのは自分の能力に自信のある人――故に、トップレベルの受験校の高3生を対象として頂点クラス第1期生を募った。

その結果、大学受験英語専門の「大学」は主に東大を意味することになった。

日本の大学入試レベルの頂点は東大理Ⅲ(理科3類、医学部)――東大理Ⅲはトップレベルの受験校のトップを競う方々が受験するところ、そんな方々も集まり、頂点クラスは「頂点」効果満点のスタートを切った。

その後、授業時間は180分から150分になり、高1生から高卒性、大学生、社会人まで入塾する大学受験英語専門となった。

以下10人の授業感想は、頂点クラスが未体験の英語学習、初体験の英語であったことの証言である。

  • 英精教室に通うことで、それまで自分が英語に対してどれだけ無知であったかを知った。そして、無知であることに気づかず英語を知っているつもりになっていた自分を恥じた。英精教室の授業を受け、英語という言語には、学ぶべきことがまだまだ多くあり、英語を学ぶことは面白いものであることがわかった。N. N. 平成10年東大文Ⅱ合格 洛南出身 高卒入塾

  • 英精教室での授業は、僕にとって感動的であると同時にショッキングでもありました。というのも今までの自分の考えることのなかった、あるいは想像の限界を超えたものがそこにあったからです。しかし、それは好奇心の強い僕にぴったりでした。教室に通う度に新鮮な驚きに出会うことがとても楽しかったのが思い出されます。とても有意義な一年間をありがとうございましたF. H 平成6年東大理Ⅰ合格 東大寺出身 高3入塾

  • 学校での英語の成績が少々良かった私の自身は英精教室の授業を初めて受けた時脆くも崩れ去りましたが、今ここまで英精教室の授業を受けてきて、その自信以上に大きなものが築かれたと思います。O. N. 平成9年東大文Ⅰ合格 洛星出身 高3入塾

  • You've broadened my view of English. I've learned a lot from your interesting lecture. Learning is happiness.N. H. 平成11年阪大医合格 星光出身 高卒入塾

  • 英語を受験科目として捉えている学校の授業に飽き足らなく感じていた僕にとって、英語を言語として捉え、その仕組みを明らかにする英精の授業は非常に興味深いものでした。英精の授業を通して、本物の英語の世界に触れることができ、大変感謝しています。K. Y. 平成10年東大文Ⅰ合格 星光出身 高1入塾

  • 1年間本当にお世話になりました。英語に対する見方が大きくかわりました。以前は理屈があってないという気がしても、そういうものだと丸暗記していたものにも、背後には歴然と論理性の筋道が通っていることを教わり、所詮言葉は人間のもの、つきつめれば理屈などない、とあきらめていた自分の言語観まで変わった次第です。I. H. 平成7年東大理Ⅰ合格 灘出身 高2入塾

  • 高校時代を振り返ってみると、英語に関しては、高2の時、英精教室で学んだことが最も印象に残っております。ここで学んだことは何をも超越しているような気さえしています(今でもたまに復習しています)。僕が東大に入れたのも英精に行くことで勉強の波にのれたことが大きいと思います。本当にありがとうございました。Z. T. 平成2年東大理Ⅰ合格 洛星出身 高2入塾

  • 今年の東大入試は数学が易化し、皆高得点をあげる中、僕は30点程度に終わってしまいましたが、それでも合格できたのは英精で鍛えた英語で無事高得点が取れたからだと思います。思えば、中学の時僕は英語が苦手で学年でも最低クラスの成績でした。高校に入って、英精の授業を受けるようになり、「変形」や「核文」の概念を学び、精読で構造把握力、さらには文章力を根本的に鍛えていただいたおかげで、卑近なところでは、英語の成績も劇的に上昇するとともに入試レベルの英文で悩むこともなくなり、さらには「言語」というものにも興味を持てるようになりました。文Ⅲを選ぶ決意が出来たのはそのおかげでもあります。Y. Y. 平成13年東大文Ⅲ合格 灘出身 高1入塾

  • 先生の授業を受講させて頂いて、文法を全く違う観点から見る面白さを教わりました。また私は、選び抜かれた精読問題の読解方法に興味をひかれ、毎回先生の解答を聞かせていただくのを大変楽しみにしておりました。私のような生徒にはもったいない授業だったのでしょうが、価値ある英語学習をさせて頂いたことに心から感謝しております。ありがとうございました。S. E. 神戸女学院大学英文科3回生の時入塾

  • 毎回期待に胸を膨らませ、授業を受け、満足感に浸って、家路につきます。不鮮明だったものが、徐々にclearになっていく心地よさは、何にも代えがたいものがあります。たったひとつの外国語も十分理解できない悔しさで何十年も英語にへばりついてきたのですが、先生の授業を受けさせていただく機会を得なかったら、これから何十年へばりついても今までと少しも変わらなかっただろうと思うとぞっとします。K. M. 立命館大学英文科を卒業後久しく「へばりついて」の入塾

頂点クラスの3の話

第1回東大実戦模試(駿台予備校主催)理系英語(氏名塾生、全員が各所属校で同模試英語の最高得点者)

3位が3度
  • 昭和61年度 3位 M. S.(灘、昭和62年東大理Ⅲ合格)
  • 昭和62年度 3位 N. T.(灘、昭和63年東大理Ⅲ合格)
  • 平成 2年度 3位 U. S.(灘、平成 3年東大理Ⅲ合格)
3 × 3 = 9
  • 平成 1年度 9位 Y. T.(灘、平成2年東大理Ⅲ合格)
  • 平成 3年度 9位 T. U.(灘、平成4年東大理Ⅲ合格)
3度目の13位
  • 平成 4年度 13位 H. H.(神戸女学院、平成5年東大理Ⅲ合格)
  • 平成 9年度 13位 S. O.(洛南、平成10年東大理Ⅲ合格)
  • 平成11年度 13位 K. K.(灘、平成12年東大理Ⅰ合格)英語の原書をわりとすっと読めるようになって、やはり英精教室の授業はすばらしいと思います。(高1の時の感想)

ロングセラーを続ける『英標』と『英文法解説』の2冊でアマ英語教育と「アマ英語教育の悪循環」を語ることができる。ハイテク英語道場の「高レベル英語学習」の1ページ「英語教育のプロとアマ:『英標』はアマの指標」は『英標』によるアマ英語教育の検証。

『英標』との出会いは頂点クラス第1期生との出会に遡る。

その切っかけは特別サービスのユニークな作文添削指導であった。英作に不可欠なものはお手本だが、読解問題集の和訳を英訳すると、読解問題集は原文というりっぱなお手本付きの作文問題集に変わる。塾生の英訳を添削し、さらに私の英訳を添えるとお手本は2つとなり、「訂正された英作文プラス2つのお手本」の相乗効果で作文学習効果はぐんと高くなる。

手持ちの読解問題集の和訳を英訳し、その和訳と一緒に提出すれば、英訳を添削するだけでなく、私の英訳も付けて返すという作文指導を実践した。

その再利用の読解問題集の1つが『英標』であったという次第。『英標』の最初の50の例題全部の和訳を英訳した私は、『英標』に精通しているという次第。

TMシステムの今は「文法プラス技法」、頂点クラスは「文法プラス修辞法」の時代であった。

ここで2つ目の推薦文――「また修辞法などの授業は受験という狭い視野にとらわれず、」とあるが、当時の私は「修辞法」という狭い視野であった。

僕が英精に通ったのは高1の冬から高2の冬にかけてですが、英精の授業はそれを完全に消化できれば、受験レベルの英語は、余りにもくだらなく感じられると思います。授業の大筋をつかむだけでも、英文に対する感覚は大きく変わると思います。

実際僕の場合は高2の半ばあたりから参考書を使って勉強することはなくなり英文の本などを読むだけになりました。

George Orwellの「1984」「Animal Farm」「Homage to Catalonia」、D. H. Lawrenceの「England, My England」「Lady Chatterley's Lover」、Maughamの「Of Human Bondage」「The Summing Up」etc. を読んでいたのはこの頃です。また修辞法の授業などは受験という狭い視野にとらわれず、今後英文を読み書きする上で後々役立つものだと思います。

M. S. 灘高校から東京大学理科3類に進学、昭和61年度第2回東大実戦模試英語で全受験者(9541人)中1位の実力。

「英語は文法プラス技法のことば」という認識は、世界的にもTMシステムが初めてである。

なぜ、これまで英語の技法は英語の文法と並ぶ研究領域、学習領域でなかったのか?

この疑問は、この疑問の裏を問えば簡単に解ける。一体誰が技法を研究することになるのか?一体誰が技法を教えることになるのか?

技法は文法の領域ではないから、あちらの大学の文法学者は技法を研究しない(だから、こちらの大学の文法学者も技法を研究しない)。ライティングのプロであるあちらのジャーナリストや作家は技法に精通しているが、彼らは技法を使う人で、技法を教える人ではない。

修辞法(修辞学)は伝統的に学問領域であるが、言語学(linguistics)に組みするものでなく、また、英語に限るものでもない。例えば対照法に当たる英語は antithesis であるが、対照法は英語特有の技法ではない。

修辞法も技法の一部であるが、「英技法の中核は変形技法」と教えたのはTMシステムが初めて、そも、「英技法」なる用語を使ったのは恐らく私が初めてであろう。

TMシステムで「英語の文法と技法の全容を実際的に深く、深く実際的に教えきる」私は、当然、英文法だけでなく英技法も知り尽くしていなければならない。

英語の自然界を注意深く、じっくり観察することで修辞法の狭い視野から英技法の広大な視野を見晴らし、その全領域を、その全技法を把握し、それを体系化し、「文法プラス技法」のTMシステムを確立するのは長い年月を要するプロセスであった。

英語の技法の花形は、なんと言っても強調構文(emphatic construction)――しかし、強調構文と言われて、あなたが想起するのは it 型強調構文(TMシステムの用語)だけ、私は英語には40以上の強調構文があることを知っている(ハイテク英語第1道場でも「about 型強調構文」「形式主語型強調構文」が登場)。

インターネットの普及で英語教育の場と機会と可能性は飛躍的に増大した。

2006年、日本(恐らく世界的にも)初の英技法講座「英語、ことわざ10選」が誕生。

しかし、「英語、ことわざ10選」の「初」は英技法だけではない。

「英語、ことわざ10選」の初・初・初・初

日本の英語学習書の著者(主に大学教授)は「書かない著者」である。つまり、著者のライティングがない。著者と言っても編集者、つまり、著者自身が発見し、加えた新しい知識がない。要するに、これまでの著者は、英語の自然界を自分で観察、洞察する「自然研究者」ではなく、本から得た知識で本を書く「本研究者」である。本研究者は、例えば本に書いていない英語の構文があるなどとは夢想だにしない。

「英語、ことわざ10選」が全く新しい著作であるのは、「著者」が全く新しいから。

「英語、ことわざ10選」の10ページは著者のライティングから始まる。例えば「英語、ことわざ10選-1. Seeing is believing.」の冒頭は次の英文。

Believing without seeing is blind faith. Seeing without believing is a skepticism that's stubborn. Seeing is believing, as they say. So we can't help believing, while sleeping, in the reality of everything we see in our dreams, but on waking up, we open our eyes to the fact that a dream is but a dream. Again, there is an optic illusion, or rather delusion called a “mirage”. We see it in the waking state, but we simply do not believe as far as we know it is a mirage. By the way, have you ever seen one? You need to see it to believe it. Aha!
(見もしないで信じるのは盲信。見ているのに信じないのは懐疑一徹。見ることは信じること――ですから、夢で見るものは全て現実、と眠っているときは信じずにはいられませんね。ですが覚めた目には夢は夢にほかならず。また、蜃気楼と呼ばれる錯覚というより視覚的惑わしもありますね。覚めた目で見ていますが、それが蜃気楼とわかっていれば信じないまでのこと。ところで、蜃気楼を見たことはありますか。それを信じるためにはそれを見る必要がありますよ。そうか!)

このページの学習テーマは、著者自身が発見し、洞察し、命名した「主・補 to 不定詞構文」(例えば、To see is to believe. のような「to 不定詞主語 + is + to 不定詞補語」の形態)。

主・補 to 不定詞構文は、TMシステムで「技法構文」と呼ぶ技法色の濃い構文の1つで、「技法の文法超越」という英語の超現象が見られる。

To see my mom witness Yeoh at work is to understand what she means to so many people around the world.(演技中のヨーを目の当たりにしている母を見ていることは、彼女が世界中のとても多くの人々に意味しているものを理解すること。)

出典:TIME 2022年12月26日、2023年1月9日合併号 p.69Yeohは、2023年3月、アジア系女優として初めてアカデミー主演女優賞に輝いた Michelle Yeoh。

my mom はこの記事を書いた Lucy Feldmanさんのお母さん――だから、文法レベルでは不定詞(see、understand)の主語を fo me to see、for me to understand と表示した a.文になり、2つの for me を省略するのは非文法。

  1. For me to see my mom witness Yeoh at work is for me to understand what she means to so many people around the world.

しかし、英語の現実では、主・補 to 不定詞構文の不定詞の主語を表示した a. は「非英語」――あなたは、今、まさに技法の文法超越という英語の超現象を witness!

文法レベルの英文

  1. When I saw my mom witness Yeoh at work, I understood what she means to so many people around the world.

技法レベルの英文:it 型強調構文

  1. It was when I saw my mom witness Yeoh at work that I understood what she means to so many people around the world.

技法レベルの英文:主・補 to 不定詞構文

  1. To see my mom witness Yeoh at work is to understand what she means to so many people around the world. (原文)

技法という魔法のつえ(magic wand)のひと振りで平凡な b. が非凡な c.、d. に様変わり――技法レベルの英文と文法レベルの英文では、英語のレベルが違う。

初めて主・補 to 不定詞構文を紹介した著者は自らもこの構文の持ち味のよくでた例文を作って見せる。

  1. To improve yourself is to prove yourself.
    (向上することは自分の価値を証すること。)

[百聞は一見にしかず」も「書く著者」は英訳して見せる。以下は「英語、ことわざ10選-1. Seeing is believing.」からの引用。

[問]
「百聞は一見にしかず」を英訳しなさい。

直訳なら、

  1. To see only once is more convincing than to hear one hundred times.

意訳なら、

  1. Seeing for yourself is its own proof.

かのシェークスピアのかのハムレットのかの有名な科白、と言えば、

To be or not to be, that is the question. (生きるべきか、生きざるべきか、それが問題だ。)

ハムレット仕込み「百聞は一見にしかず」なら、

  1. To believe or not to believe, that is the question of seeing.

there is 構文仕立て「百聞は一見にしかず」なら、

  1. There's nothing like seeing to make you believe.

「私は英語には40以上の強調構文があることを知っている(ハイテク英語第1道場でも「about 型強調構文」「形式主語型強調構文」が登場)」と言った手前、about 型強調構文の「百聞は一見にしかず」のおまけもつけておこう。

  1. Seeing is what believing is all about.

著者のライティングも新しい発見・洞察もない本研究者の著作とはまるで違う100%完全オリジナルの「英語、ことわざ10選」である。

2006年、ハイテク英語第1道場――2006年は技法がテーマの無料オンライン講座「英語、ことわざ10選」と「文法プラス技法」で「変形プラス変形テクニック」の有料オンライン講座「ハイテク英語第1道場」がこの世に出た年。

以下はいずれも受講当時40代男性の感想。

  • 目の覚めるような第1道場を開いてくださりありがとうございました。

  • 英語学習の道半ば、この講座に出会い、その独創性、レベルの高さに驚嘆しました。「『実際的に深く、深く実際的』な文法プラス技法の英語学習体験」――まさに看板に偽りなし。これほどの英語学習体験に出逢ったのは初めてのことです。
     以前から私が英語という言語に対して漠然といだいていた疑問がこの講座によって氷解したことはもちろんですが、それ以上に、全く未知の英語の捉え方を知り、本当に驚いています。

要するに、大学を出て20年以上たってアマ英語学習から目が覚め、プロ英語学習で英語に開眼したという話。

この「第1道場」はいわば第1ハイテク英語第1道場、2022年開講のハイテク英語第1道場(TMシステム-レベル1講座)は2006年版と中身が全部違う。

また、2023年開講のTMシステム入門講座(TMシステム-レベル2講座)も2006年版第1道場の焼き直しではなく、新しい講座。

この間17年、頂点クラス開設より40年、プロ英語教育のプロ英語学習は常に進歩進化し続けた。

これだけの進歩進化が可能であったのは、英語それ自体が非常に進化した言語である故。

英語学習の行き着くところはライティング領域――「変形方式」と「英語の基本5変形」が学習テーマのTMシステム入門講座には、しかしながら「驚嘆」せずにはいられない10の「ライティング実習」があり、「本当に驚いて」いただくことになる。

今や、TMシステム入門講座は、それ1つで英語革命(英語学習革命)ときっぱり言えるまでに進歩進化したプロ英語学習となった。

洛南高校から東京大学理科3類に進学した佐々木欧さんの推薦文で「熟成40年プロ英語:私とTMシステム」を結ぶ。

私は英精教室と出会うまでは、英語といえば暗記の集大成であると考えていました。浪人生活がスタートして間もなくダイレクトメールを受け取り、試しに受けてみようか、ぐらいの気持ちで受講を始めたことを覚えています。当時の私は、英語は得意科目であったものの高校2年生の頃から英語の点が伸び悩んでおり、しかも参考書は一通りやり終えていたので、何をすればよいのか見当もつかないといった状況でした。そして、英語の読解というのは構文集にのっているような紋切り型の構文に当てはめて、単語をひとつずつ日本語に置き換え、あとは適当に助詞などを補って日本語に直すことだ、という印象を抱いていました。

英精教室の授業が始まって間もなく拡大原理や変形原理といった概念を初めて教わり、英語の根本原理であるといわれ、正直なところ「ほんまかいな」と思いました。というのも参考書にはどこにもそんなことは書いていないからです。しかし授業を重ねるごとに、実例を使って実際に自分の手で試してみるうちに、その正しさを理解するとともに私の英語観は根底からくつがえされ、いかに自分が表面的にしか英語をとらえていなかったかを思い知らされました。今まで読み飛ばしていて「何となく」しか英語の文章を吟味できていなかったのが、「ここまで緻密に表現されているのか」と知ることによって、自分でどんどんパズルを解きほぐすような新鮮な面白さに出会うことができました。一方で、「このようなことを前にもみたな」という漠然とした頭の中でのアナロジーを解析することで、「ああこれだったのか」と気づいた時の喜びも捨て難いものです。どちらにせよ、論理的に解析する方法論と、その道具を手に入れられたということは、何物にも換え難いことです。

英文を読解すること、即ち筆者と対話することとは、水面からわずかに頭をのぞかせた氷山の一角をたよりに、自ら海に飛び込んで海中深く没した氷山の本体に直接触れることなのです。構文集をたよりに氷山の上をあてどもなく歩き回っていても大した収穫はありません。氷山が大きいほど、水面下に没した部分も大きいのです。真珠取りが石を腰にしばりつけて海の底へ潜って真珠を採るのと同じように、拡大原理や変形原理に裏打ちされた数々の試金石を身につけて、海中深くに没している氷山の本体にふれることこそが真の英文読解であり、そのほかのなにものでもありません。

英精教室と出会い、真の英文読解法を実践させていただけて私は本当に運がよかったと思います。予備校や、大学などでも、様々な英語教育を受けてきましたが、真の英文読解法を伝授していただけたのは英精教室だけでした。授業ノートを見返して新たな発見をすることが多く、まだまだ未熟だなと思う日々です。

プロ英語学習の1つの売りは、英語学習にコクがあることだ。プロは英語を美味しく料理する。だから学習者は英語の旨み、醍醐味をとことん味わえる。英語は味わい深い言語である。

限りある時間と
限られた努力と
最低限の料金で
学習者を着実に
確実に習得まで
導くのがプロの
英語教育である

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どだい、土台が違う

木造平屋建ての土台でビルは建てられない。3階ビルの土台に30階高層ビルは建たない。英語ができるといっても、いわば平屋の英語力と、いわば高層ビルの英語力の違いがある。

どこまで英語力を伸ばせるか。
どこまで実力が積み上がるか、
それは、土台で決まる。

世に、ネイティブ級ライティング力の超高層英語力を
現実に実現できる英語教育は、TMシステムあるのみ。

TMシステム
(The Thorough Mastering System)
英語の文法と技法の全容を実際的に深く、
深く実際的に教えきる初の英語習熟教育。

重たい英語学習を避けるなら、
どこまでも、どこまでも、どこまでも
軽い英語力でいくしかない。
深い英語学習を避けるなら、
いつまでも、いつまでも、いつまでも
理解の大不足のままでいるしかない。